ギリシャ哲学のソクラテス、アリストテレスに並んで、プラトンの存在はあまりに有名だ。
今回はそんなプラトンの代表的な思想である『イデア論』について説明したい。
イギリスの哲学者であるホワイトヘッドをして、『西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である』と言わしめた、そのプラトンが唱えたイデア論とは、どんな哲学だったのだろうか……
目次
イデア論とは
イデア論とは、古代ギリシャの哲学者プラトンが提唱した、哲学的な概念だ。
イデア論によると、日常にある「正義」や「美」は二次的なものにすぎず、それらの概念の実体は、天上界(イデア界)にあるということになる。
この真実在のことを、イデアと呼ぶ。
(なお、イデア論については、プラトン自身は明確な理論としては提唱しておらず、弟子のアリストテレスがイデア論として定義したとも言われている)
下図は、『三角形のイデア』を例として簡単に表したものだ。現実世界の三角形は、一見完全なものに見えても、拡大していけば原子レベルでは丸みを帯びることになる。
三角形の例をあらゆる物体や概念に対して適用すると、
『現実世界において、まったくの矛盾がなく、完全に○○である、ということはありえない』
と考えられる。
同時に、『完全な○○』を真実在=イデアとして想定するのが『イデア論』だ。
イデア論詳細
ここまででいったん整理すると、
現実世界に存在する物体や概念はすべて影であり、真実在=イデアは天上界にあると考える。
これがイデア論であることは説明してきた。
また、『建造物や人造物』『愛や誠意や尊敬などの概念』などそれぞれにイデアが存在することになる。
こうした諸々のイデアの中心には、『善』のイデアがあるという。
イデアを突き詰めていくと、『核となる存在=イデア自体を構成する力』が想定される。その、第一存在を『善』として、イデアを存在せしめる根本としたのだ。
下図では、地上における「美」と「美のイデア」と「善のイデア」がどのように位置づけられるのかを表している。
イデア論については、プラトンの著書『国家』における洞窟の比喩が有名だ。また、洞窟の比喩は以下のようなものだ。
生まれたときから洞窟の中に縛り付けられた囚人がいるとしよう。
この囚人は手足を縛り付けられ、身動きができず、ただただ洞窟の壁に映った影絵しか見ることができない。
この囚人の背後には明かりが灯されている。
明かりと囚人の間には紙や木や石などで作った模型が掲げられており、この模型が動くことで、囚人が見る影絵が動くのだ。
こうして囚人は、影絵を現実の世界として認識する。
また、囚人と同じ世界にいる人々も、みな影絵をこの世の実体だと思って暮らしている。
もし、囚人たちが振り返って、影絵を生み出している仕組みに気がついたらどうなるだろう?
外の世界の太陽の光(善のイデア)を見た囚人はあまりの眩しさに苦痛を思えるが、その光を知ってしまったら、洞窟に戻ることはできなくなる。
人間はイデアの影(模型の影絵)に惑わされることなく、知性によって、善のイデアを求めなければならない。
下図は、洞窟の比喩を表したものだ。
初期のイデア論は、ソクラテスの教えに基づき、「イデアとは、人間には知りえない本当の知の実体である」とされていた。
しかし、プラトン自身による見直しによって、イデア論自体が変遷していくことになった。
中期には、「魂(プシュケー)と想起(パイドン)による学習の説明」などの考え方が生まれ、複雑化していった。
後期にはまたこれらの考え方が否定され、「形相」や「類」の考え方が登場する。
プラトンについて
アテナイのプラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)は、ソクラテスの弟子であり、アリストテレスの師にあたる哲学者だ。
ソクラテス自身は著書を残さなかったのだが、ソクラテスの教えを受け継いだプラトンが多数の著書を記すことになった。
プラトンの記した著書は対形式のものが大半を占め、「ソクラテスの弁明」をはじめ、40篇以上が現在に伝わっており、その対話篇の主人公はソクラテスが担っている。(プラトンの師匠愛もかくや、といったところ。プラトンがいなかったら、ソクラテスはここまで注目されていなかった)
こうした対話形式をプラトンが採用したのは、「プラトン自身の影を薄れさせ、議論の内容そのものについて読者に考えさせたかった」からだ。
プラトンは多数の著作を残したばかりではなく、「アカデメイア」と呼ばれる学問の場を設立した。アカデメイアは、現代で学術団体や大学を意味する「アカデミー」という言葉の語源ともなる学園だった。
ソクラテスについて
プラトンの師であるソクラテスについても述べておく。
ソクラテス(紀元前469年頃 - 紀元前399年)は、「無知の知」の哲学で有名だ。
ソクラテスは哲学の本質が対話にあることを信じて、著作を記さなかった。
そんなソクラテスは、街の青年や哲学者や知識人の元へ赴き、彼らに対して「産婆法」という対話の技術を使って導こうとした。
たとえば、産婆法とは以下のようなものだ。
ソクラテス「ちょっとすみません。いいですか? たとえば、道端に倒れている人を救うのって、善いことですか?」
青年「え? もちろんそのとおりだ! 人間として当然じゃないか」
ソクラテス「だったら、その人が、前日に大量の殺人を犯した殺人者だとしても?」
青年「うーん、それはちょっと考えるな」
ソクラテス「ですよねー。なら、万引き犯だったら助けますか?」
青年「わからん」
ソクラテス「ですよね。わからないんですよね。私たちは無知ですから。もうちょっと考えてみましょうか」
こういった議論を重ねることで、人々に無知であるということを自覚させ、また、知に向かって努力をすることの大切さを伝えようとした。
また、ソクラテスが産婆法の活動をするに至るきっかけに、こんな話がある。
ある日、ソクラテスの弟子のカイレフォンが、アポロンの神託所にいった。そこでカイレフォンは、「ソクラテスを超える賢人はいますか」と尋ねた。すると巫女は、「ソクラテスを超える賢人はいません」と答えた。それを知ったソクラテスは、まさかそんなことはないだろうと、さまざまな哲学者や知識人の元へ向かった。そこでソクラテスが議論を挑むに当たり、どんな賢者も突き詰めれば「すべてを知るわけではない=無知」であることを知った。
そこでソクラテスは、「無知」であることを知っている自分の方が、知識があると思い込んでいる人々よりは賢いことを悟った。
(参考:ソクラテスの弁明)
ソクラテスは心の声(ダイモニオンと呼ばれる神的な存在)に従い、この「無知の知」啓蒙活動にいそしんだが、多くの人々の恨みを買って、最後は裁判にかけられて死罪となる。
……これくらいにしておこう。
プラトンはこんな師の教えを引き継いでおり、多くのソクラテスの逸話自体もプラトンが残した文献から知るものだ。
そのため、ソクラテスについて述べることは、プラトンについて述べることと大差はないわけだが。
「国家」とイデア論
イデア論は、プラトンの数々の著作によって言及されている概念ではあるが、特にイデア論について詳しいのは、「国家」という著作だ。
プラトンの代表作とみなされる本作「国家」では、そのタイトルどおり、国家の理想のあり方について述べられている。
「善のイデアを認識した哲学者が国を治めるべき」「生まれた子どもは公平性のために国が親から隔離して教育し、適性にあった仕事を与えるべき」「支配者は私的な生活を持たざるべき」
などと、独自性のある理論が展開される点に特徴がある。
「国家」については時代や場所によって、ときに無視されたり、ときに重視されたりもした。
こういった評価は、「国家」をリアリズムとして読むか、一種のアレゴリーとして読むかによっても変わってくるだろう。
余談となるが、『国家』については、松岡正剛氏の批評がおもしろく、参考になった。
799夜『国家』プラトン|松岡正剛の千夜千冊
後世への影響
プラトンのイデア論は、後世へ多大な影響を及ぼした。
イデア論全体における『現実世界の虚構性と真存在の対比』という考え方や、中期イデア論における『魂が転生の過程で忘れてしまったイデア=真理を思い出すことが、認識の本質である(想起説)』という考え方は、近代に伝わるさまざまな哲学や宗教に類型が見られる。
こうした点について、イギリスの哲学者ホワイトヘッドは、『西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である』と言っている。
ユング心理学の『元型』にも、通じる部分があるのも興味深い。
ユング心理学入門(河合隼雄著)【第三章 個人的無意識と普遍的無意識】 - 648 blog
参考書籍
国家
面白いほどよくわかるギリシャ哲学―ソクラテス、プラトン、アリストテレス…現代に生き続ける古典哲学入門 (学校で教えない教科書)
魂(アニマ)への態度──古代から現代まで (双書 哲学塾)
まとめ
実は以下の記事に対して、「イデア論」という検索ワードで流入があったため、今回の記事を書くことにした。
哲学的宇宙論ベスト8! ピタゴラスから南方熊楠まで古今東西 - 648 blog
個人的にはもともと興味のあったテーマであったのだが、はじめてみるとかなり大変な話になってしまった。
自宅のプラトンに関わる著書を漁り、図書館にも行って改めて調べることになった。
本当は「国家」をもっと読み込んでから記事にすべきだったが、まずはイデア論に絞って公開することにした。(あまり絞れていないが……)
ギリシャ哲学についても、引き続き掘り下げてみたい。