イベント運営会社『DNプランニング』が運営する、チケット販売サイト『オールチケットオンライン(OCO)』は、約14万人の会員を抱えていた。
ある日、OCOはサイバーアタックを受け、約9万人の個人情報を流出させてしまった。
システム保守を行う『GRシステム』は、責任を問われ、対応に奔走することになった。
もし損害賠償請求をされたら、たちまち倒産するかも知れない。
苦情とサイバーアタックの嵐の中で、関係者たちは……
※本作はフィクションです
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vol. 51
2月15日の金曜日。
由加里は電車を降りて改札へ向かった。
人混みの中を歩きながら、岩倉の話を思い出した。
事故の過失比重に関わるエビデンスを、矢口が握っていること。
浦谷から脅され、買収されているらしいこと。
――そうだとしたら、早く佐川に伝えて、矢口を引き止めなければならない。
近頃の勤務態度を考えると、すでに会社から気持ちが離れていそうだった。
開き直って勤務を続ける可能性もあったが、由加里はどうも嫌な気がしていた。
駅は移動中の会社員をはじめ、人でいっぱいだった。
改札を抜けてしばらく行くと、由加里は矢口と佐川を見つけた。
どうやら、矢口は佐川を振り切って、改札に向かおうとしているようだった。
すると、矢口と目があった。矢口は立ち止まって、睨んできた。
そのうち、佐川もこちらに気づいたようだった。
由加里は近づいていった。
「藤野さん……。どうされたんですか? まだ、あちらにいるのかと」
「ええ。ちょっと、気になることがあってね。ところで2人とも、いったい、どうしたの?」
「すみません。矢口くんを怒らせてしまって。僕が、疑うようなことを言ってしまったんです。それで、彼は退職届を出して、ここまで……」
「色々あったみたいね」
「はい」
「あとは、わたしの方で話をするから、任せてもらえる?」
「え、藤野さんが、ですか」
どうやら、由加里と矢口の因縁を知っているようだった。その証拠に、佐川は明らかに心配そうな表情をした。
「大丈夫。まだ、佐川くんたちも、仕事あるでしょ」
「わ、わかりました。それでは……」
半分納得がいかない様子で、佐川は戻っていった。
「俺も、帰っていいですか? こんな往来で、恥ずかしい」
と、矢口が言った。
由加里は、どこから話そうかと思いあぐねいていた。
「まさか、藤野さんも、俺が犯人だとか言い出すんじゃないでしょうね。まあ好きなように妄想してくれれば、いいですけど」
そこで、由加里は言った。
「矢口くんは、犯人じゃないわね。ただし、事実を歪めようとしてる」
すると、矢口は焦りはじめた。
「え? な、なに言ってるんですか?」
「わたしね、矢口くんのこと。……いままでは、少し一方的な所があるにしても、仲間だと思ってたわ。でも、いまは違う。だって、自分の都合で、仲間を苦しめようとしてるんだから」
「やめてくださいよ。わけがわからないんですけど」
「岩倉さんに聞いたわ。たぶん、ほとんど全部……」
駅のアナウンスが流れた。
電車がやってきたようだ。
走り出す人もいた。
矢口は黙ってうつむいていた。
「エビデンスを出して。協力して! あさっての、報告会までに。たぶん、そこでMegaカードの件が進むから。でも、エビデンスがあれば、展開が変わるわ」
矢口は顔を上げた。
「なんで? どうして協力しなきゃいけないんですか? なんかメリットあるんですか、この俺に」
由加里はふと視線を外し、往来や券売機などを眺めた。
「なぜ。……そう言われると、答えはないわ。ただね、最近、気づいたことがあって。岩倉さんのお陰で」
「なに言ってるんですか」
由加里は矢口の目を見た。
「見つけたの。自分の道を」
「はあ、道ですか」
「ええ。わたしね、いままで、会社のために働こう、って思ってやってきたの。大島さんや、みんなのために」
「はあ、それはそれは、ご立派ですね」
「ありがと。でもね、よく考えると、違ってたの。いえ、見えていなかったって言うか……。そう。わたし、用意された世界の中で、目をつむっていたかったのよ。なにも考えずに。思考停止して。誰かが設定してくれたゴールに向かって、走っていたかった。バカね。バカみたい」
矢口は黙っていた。
由加里は続けた。
「昔から、そうだったの。中学生や、高校生のときから。……でも、岩倉さんや、会社のみんなには、あったみたいね。自分の道が。自分の頭で考えて、自分の意思で進んでいく、道が」
由加里は矢口へと詰め寄った。
「だから、わたしは、自分の意思で決めたい。そういう仕事をしたい。自分が信じるやり方で……。だから、あなたも、恥じない道を」
矢口は言った。
「藤野さん、意識高い系ってやつですか? そんなこと言われても、変わりませんから。くだらねー。俺の道は、あっちですね」
矢口は改札の方を見た。
「……俺、真剣だったんですよ。藤野さんが、積極性を出せ、って言ったから。死ぬ気で、俺は」
「そうね。……ごめんなさい」
矢口は鋭い目つきで睨んできた。
そのまま、改札へと歩いていった。