イベント運営会社『DNプランニング』が運営する、チケット販売サイト『オールチケットオンライン(OCO)』は、約14万人の会員を抱えていた。
ある日、OCOはサイバーアタックを受け、約9万人の個人情報を流出させてしまった。
システム保守を行う『GRシステム』は、責任を問われ、対応に奔走することになった。
もし損害賠償請求をされたら、たちまち倒産するかも知れない。
苦情とサイバーアタックの嵐の中で、関係者たちは……
※本作はフィクションです
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vol. 42
緊迫した空気に包まれたオフィスで、佐川と矢口は対峙した。
技術チームはもちろん、営業、制作の者たちも、その成り行きに注目した。
佐川のとなりに立つ、安原は言った。
「会社のリスクを考えてくださいよ……。佐川さん。こいつ、なにかやってますよ。絶対」
たしかに矢口は怪しかった。
会社のためにも、矢口をなんとかしなければならなかった。
矢口は黙ったまま立っていた。同僚たちを見下しきったような、暗く皮肉な目つきをしていた。
「矢口くん。教えて欲しいんだけど……。まず、はじめの事故があったとき、アタックがカナダからあったことを知っていたね。うちのエンジニアが、廊下で立ち話をしてたのを聞いたってことだけど」
佐川はそう言って、エンジニアの面々を見回した。
誰もが首をひねり、手を振った。『そんなこと知りませんよ』とでも言いたげだった。
「白状するわけないでしょ。怒られるんだから」
と、矢口は言った。
「そうか……。あとは、勤務態度のことだけどさ。あの夜、事故があったとき、出社してくれなかったよね。あれがどうも、非協力的だったと思うんだけど」
矢口は半笑いになった。
「どこのブラック企業ですか。どうせ、残業代出ないじゃないですか」
「あのさ、一応、案件の担当なんだからさ。……それはそうと、昨日のことで言えば、安原くんと揉めたあと、勝手に早退したよね。そのあと、どこにいたの?」
「なんですかそれ。アリバイですか?」
「いや、そうじゃないけど……」
「適当に昼飯食って、家にいましたけど。それがなにか?」
佐川には他にも聞いたいことがあった。
先日、通勤時に黒い車の助手席から降りてきたこと。
由加里との恋愛トラブルのこと。
しかし、それらは口に出すのがはばかられた。
佐川は心を決めた。
矢口との人間関係や、矢口の心情を重視するよりも、会社の利益を優先すべきだと。
リスクの可能性を排除すべきだと。
大島は東京合同銀行の応接室にいた。
内装や調度品は星山銀行のものよりも年季が入っていた。
重厚な木製のローテーブルにはところどころ薄茶色の地肌が見え、そこに再塗装がされていた。
薄っすらと日焼けしたクリーム色の壁には、海岸の描かれた絵画がかかっていた。
かつての担当者である八房は、向かいのソファに座っていた。
初老の八房には、濃いグレーのジャケットと小豆色のベストがよく似合っていた。かすかな体臭と、爽やかなポマードのにおいがした。
「ご活躍の噂は、耳に入ってましたよ」
と、八房は言った。
「私も会社も、まだまだです」
「いまではすっかり、経営者の顔になられましたね。いや、こう言っては失礼か」
「とんでもない……。いまでもヒヨッコですよ。しかし、八房さんも、お元気そうでなによりです」
「ありがとうございます。いろいろ、まあ故障はありますが、一病息災で、やってますよ」
そのとき、ノックの音がした。
女性職員がお茶を持ってきた。
そのあと、大島は咳払いをして、切り出した。
「あのですね、八房さん」
大島は窮状を明かした。
個人情報漏洩事故について。
1億円に近い賠償金が発生しうること。
星山銀行に切られそうなこと。
八房は深く頷いて、こう言った。
「また、こうしてご対面できて、嬉しく思いますよ。古巣に帰ってきて下さったわけです。しかしですね、今回のお話は、なかなか……」
そうして、八房は黙り込んだ。
大島も、それ以上語ることがなかった。