イベント運営会社『DNプランニング』が運営する、チケット販売サイト『オールチケットオンライン(OCO)』は、約14万人の会員を抱えていた。
ある日、OCOはサイバーアタックを受け、約9万人の個人情報を流出させてしまった。
システム保守を行う『GRシステム』は、責任を問われ、対応に奔走することになった。
もし損害賠償請求をされたら、たちまち倒産するかも知れない。
苦情とサイバーアタックの嵐の中で、関係者たちは……
※本作はフィクションです
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vol. 36
夕方5時過ぎのことだった。
佐川がディスプレイに向かってWebサーバのログを確認してるとき、突然声がした。
「すみません。お忙しいところ」
佐川は手を止めてそちらを見た。
総務部の宇佐だった。
手には菓子箱を持っていた。
「バレンタインデーのチョコを……。落ち着いているときに、声をかけたかったんですが。なかなか、タイミングがなくて」
菓子箱には赤い銀紙に包まれたチョコレートが並んでいた。すでにチョコレートは半分ほどなくなっていた。
「そうか。今日も1日じゅうドタバタしてたからね」
そう言う佐川に、宇佐は箱を差し出してきた。甘い匂いが漂った。
「よかったら、どうぞ……」
「ありがと。どうも、いただきます」
佐川は銀紙の包みを1つ手にした。
宇佐はほっとしたような表情をした。
続けて宇佐は、安原と加藤にも声をかけてチョコレートを配った。
「それではお先に、失礼します」
そう言って、宇佐は席へ戻っていった。
安原はチョコレートを頬張りながら、うれしそうに言った。
「すっかり忘れてましたよ。いや、忘れようとしてましたよ。……今日、バレンタインデーでしたね」
「そうだな」
佐川もチョコレートを口に入れた。
噛むと甘さが広がった。砕かれたナッツが入っていた。
「孤独に染みますね、義理チョコが」
そんな安原の言葉に、佐川は噴き出しそうになった。
引き続き技術チームはプログラムのチェックを行い、アタックへの対策プログラムを整備した。
その甲斐もあり、今度こそは抜けのない体制ができたように思われた。
とにかく、考えられる対策はすべてやった。プログラムの修正から、サーバ周りの設定まで。
夜9時になると、佐川たちは仕事を区切りにして帰ることにした。
ビルを出るときに、安原が言った。
「しっかし、矢口のやつ、昼に帰ったきりですね」
「ああ、たしかに……」
「佐川さん。やっぱり、矢口のこと、なんとかしましょうよ。今日だって、あいつが帰ってから、しばらくして、カード情報の漏洩があったじゃないですか! はじめのアタックがあったときも、会社にいなかったんですよね。考えてみれば、アタックがカナダからあったのを知っていたのも、おかしいですし。あと、藤野さんとの件で、動機だってあるわけですから」
「そりゃ、疑わしいところもあるけど、証拠もないのに決めつけられないって。シャレにならないからな、こればっかりは。……とにかく、明日、出社してきたら、きちんと話をしてみるよ。いずれにしても、勤務態度のことで、話をしなきゃいけないから」
「そうしてください。どっちにしても、もう、あいつにはサーバへログインさせない方がいいですよ!」
鼻息を荒げていた安原だが、やがて、肩を落としてつぶやいた。
「まあ、あいつが犯人だとわかったところで、すべて解決するわけじゃないんですけどね……」
佐川は内心で、同じことを考えていた。
矢口が犯人だったとしても、なお一層GRシステムの責任が問われるだけで、苦しい局面は変わらない。
矢口に賠償能力があろうとなかろうと、GRシステムとしての責任は依然として残るのだ。
佐川はどうにもならない現実に挟まれて、思わず頭を掻きむしった。