イベント運営会社『DNプランニング』が運営する、チケット販売サイト『オールチケットオンライン(OCO)』は、約14万人の会員を抱えていた。
ある日、OCOはサイバーアタックを受け、約9万人の個人情報を流出させてしまった。
システム保守を行う『GRシステム』は、責任を問われ、対応に奔走することになった。
もし損害賠償請求をされたら、たちまち倒産するかも知れない。
苦情とサイバーアタックの嵐の中で、関係者たちは……
※本作はフィクションです
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vol. 32
由加里はオフィスの隅で、佐川からの電話を受けていた。
「それじゃ、また連絡してね」
そう言って電話を切ると、クレーム対応チームの席へと戻っていった。
小笠原は電話対応をしていた。
緑川は立ち上がって、心配そうに話しかけてきた。疲れが溜まっているのか、目の下にくまがあった。
「先輩、どうですか? さっきの、チャットに流れてた話、ホントですか?」
緑川のまっすぐな視線からは、逃げられそうもなかった。
由加里はうなずいた。
「ええ。残念ながら」
「まさか、と思いましたが……」
「ええ。信じられないでしょうけど。……こうなったら、一刻も早く、岩倉さんに報告しないと」
そう言って、由加里は少々離れた岩倉の席へ向かった。
岩倉は別の女性社員と話していたが、そこへ割り込んだ。
「お話し中、申し訳ありません。岩倉さん。緊急なのですが」
岩倉はぎょっと目を広げて身構えた。
「ど、どうしたんですか」
由加里は声を潜めて、しかしはっきりと言った。
「先ほど、再度のアタックがあり、一部のクレジットカード情報が漏洩いたしました」
「え、ちょっと、どういうことですか?」
「重ね重ね、申し訳ございません! 先ほど報告があり、それによると、カード情報が新たに漏洩したようです」
由加里は頭を下げながら、岩倉の様子をうかがった。
岩倉はうつむいて、頭を掻きむしりはじめた。うなり声を上げ、顔を高潮させていた。
由加里は続けた。
「アタックがあったのは、本日の昼過ぎでした。漏洩したカード情報の件数は調査中です。……本当に、申し訳ございません」
再び由加里は頭を下げた。
岩倉は言った。
「おたくらねえ、どういう管理をされているんですか? もうこうなったら、最低でも、クレジットカードでの決済機能を止めるしかないでしょう」
由加里は続けて、現状を報告した。
該当のプログラムは削除したこと。
カード情報の漏洩対象者数は調査中であること。
準備していたコールセンターが夕方には開設できること。
説明を聞き終わった岩倉は、声を荒げた。
「ユーザーさんたち、きっとただでさえご不安なのに、さらに追い打ちですよ、これじゃ! ……なにやってんの? ホントにおたくらはァ!」
「申し訳ございません」
由加里は謝ることしかできなかった。
「もういいから、現場に指示を出してください。まず、決済機能を止めてください。すぐに!」
「はい、承知いたしました」
由加里はオフィスの隅に行き、佐川に依頼するため携帯電話を取り出した。
その内心は、あてどのない怒りや嘆きの感情に掻き乱されていた。
リダイヤルの操作をする手が震えた。
会社のためにがんばってきたのに、どうしてこんな目に合うのか。
今回の賠償をしたら、GRシステムはどうなってしまうのか。
大島は自分に失望するだろうか。
こんな赤字案件をなんとか引っ張ってきたのに。
――そこまでくると、岩倉やサービス利用者のことすら憎くなってきた。
会社を潰そうとする外敵だった。
「大変ですね」
そう声をかけてきたのは小笠原だった。
由加里は顔を上げた。ひどい形相を見られてしまったと、怖くなった。小笠原にはどこか、人を見透かすような雰囲気があった。
由加里は言った。
「ど、どうも、お疲れ様です」
「お疲れ様です。しかしこの季節は、喉にきますね。ずっといがらっぽくて。……あんなにモクモクしてるのに」
と、小笠原は丸みを帯びた加湿器を指差した。
「そうですね。それがなにか……」
「いえ、なんでもありませんよ。ちょっとお手洗いに、ね。どうも最近、近くなりまして」
「そ、そうですか。どうぞごゆっくり……。それにしても、小笠原さんも、ご無理なさらず」
すると、小笠原はゆるく微笑んだ。
「大丈夫です。不謹慎ながら、楽しくやらせていただいていますよ。どんなことにも、意味があるものです」
その言葉をしっかりと聞かず、由加里はリダイヤルをはじめた。
耳障りな接続音がはじまった。
由加里にとって、なにもかもが理不尽だった。
なぜこんなに、繰り返し攻撃を受けなければならないのだろうか。
クラッカーはいったい、どこの誰なのか。
なにか恨みでもあるというのか。