イベント運営会社『DNプランニング』が運営する、チケット販売サイト『オールチケットオンライン(OCO)』は、約14万人の会員を抱えていた。
ある日、OCOはサイバーアタックを受け、約9万人の個人情報を流出させてしまった。
システム保守を行う『GRシステム』は、責任を問われ、対応に奔走することになった。
もし損害賠償請求をされたら、たちまち倒産するかも知れない。
苦情とサイバーアタックの嵐の中で、関係者たちは……
※本作はフィクションです
関連
vol. 30
午後1時を過ぎたころ、大島は桑部弁護士事務所を出た。ビルの前は人々が行き交っていた。
そのとき大島のスマートフォンが鳴った。画面には『GRシステム代表番号』と表示された。
「はい、おつかれさま」
「佐川です。いま、よろしいでしょうか?」
佐川の声は張り詰めていた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。あの、率直に言います。OCOで、クレジットカード情報が漏洩しました。あれから追い打ちのアタックがあり、一部のカード情報が抜かれたようです」
「……え? なんだって?」
「ですから、カード情報が、盗られたんです……」
大島は立ち止まって、呆然と人の往来を見た。
佐川の言葉を聞き間違えたのかと思ったが、そんな余地のないほど、単純明快な報告だった。
『カード情報が、盗られたんです』
大島は発作的に自分の腿を叩いた。
電話――スマホを叩き割って、海外に逃亡してやりたい気持ちになった。
しかしそれは一瞬のことだった。
大島は毅然と言った。
「藤野は知ってるのか? とにかく、藤野と連絡を取って、早急に事実を顧客に伝えろ。サイトや決済の停止なんかも、判断はDNさんに仰げ。現場のことは任せるが、プログラムの停止など、随時判断してやってくれ」
大島は電話を切ったあと、激しい動悸に襲われた。
そんなとき、星川銀行の担当である、尾崎のことを思い出した。
融資はどうなるのだろうか。
昨日の今日であまりに性急だったが、気が気ではなかった。
すぐに尾崎へと電話をかけた。
「――どうされました? またなにか?」
と、尾崎は驚いた様子だった。
「ええ、ちょっと、融資の件は、どんな具合かと……」
「大島社長としては、気になりますよね。なるほど」
「申し訳ない」
「いえ。それでは、申し上げます。今日の午前中、上司に相談したところです。そこで、今回のご融資は……」
大島は手に力を入れてスマホを耳に押し当てた。
そのとき、後ろから若者たちが大声で笑い話をしながら近づいてきた。
そのため大島は、尾崎の声を聞きそびれた。
「すみません、もう一度よろしいですか?」
「わかりました。あのですね、ご融資は、できません。今後のご融資は、ご遠慮させて頂くよう、指示がありました」
「できない? こ、今後は、と言いますと」
「当行の規定により、そのような形になりました。現在の返済が終わりましたら、お取引自体を、引き上げなければならないと思います。――もし御社が賠償責任を負ったら、ということになりますが」
「そんな……。それはいくらなんでも……」
「ご期待に添えられず、申し訳ありません。また、改めてお話しましょう。それでは、別件がありますので」
尾崎は電話を切った。
大島は漠然と、死ぬことを考えた。
ちょうどそのとき、観光客らしき家族連れが目に入った。
男児が父の手を牽いて、嬉しそうに歩いていた。近くには黒髪の母親が連れ添っていた。
大島は妻と娘の顔を思い出した。
(おまえたちには、迷惑かけねえよ。どういう結果になっても、ちゃんと、最低限の整理はしとくよ)
そうしてふと、自分がいなくなった後の家族の様子を思い描いた。
大島は涙ぐんでいた。
家族と一緒に暮らしたかった。