イベント運営会社『DNプランニング』が運営する、チケット販売サイト『オールチケットオンライン(OCO)』は、約14万人の会員を抱えていた。
ある日、OCOはサイバーアタックを受け、約9万人の個人情報を流出させてしまった。
システム保守を行う『GRシステム』は、責任を問われ、対応に奔走することになった。
もし損害賠償請求をされたら、たちまち倒産するかも知れない。
苦情とサイバーアタックの嵐の中で、関係者たちは……
※本作はフィクションです
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vol. 10
「このたびは、大変申し訳ございませんでした!」
由加里はそう言って、佐川とともに頭を下げた。
視線の先に黒いパンプスが見え、その下にはベージュのカーペットが広がっていた。
第一声をどうしようか、いろいろ考えた末、結局こうなったのだ。
謝る以外にどうすればよかったのだろうか。
由加里は顔を上げた。
10人近い関係者が会議室のテーブルを囲んで座っていた。
おまけに彼らは静まり返っていた。
奥には大きな窓があり、結露の水滴が浮かんでいた。
「社員一堂、事故の対処と、二次被害の防止に努めさせて頂きます。まことに、申し訳ありませんでした!」
由加里はもう一度頭を下げた。
しばらくしてから顔を上げたが、先ほどと光景は変わっていなかった。
左手には、OCO案件担当者の岩倉が座っていた。小太りの黒ずんだ顔にメガネをかけていた。
岩倉の向こう側に、DNプランニングの社長である浦谷(うらや)が座っていた。骨ばった顔にあご髭と口髭、白髪混じりの髪を後ろに流していた。
あとは見たことのない顔がずらり。
由加里は続けた。
「なお、弊社代表の大島は、所用のため臨席できませんでした。まことに申し訳ありません」
岩倉は言った。
「なぜ? こんな重大な事故を起こした、一番の責任者がこないって、どうなんですか?」
「申し訳ありません」
「誠意があるとは思えませんね。それに、漏洩が判明してから、我々に報告があるまで、3時間近くかかっている。それも、いかがなものかと」
「申し訳ありません」
「いいです。とりあえず、座ってください」
そう言って、岩倉は自身の正面の席を手で示した。
由加里と佐川は席についた。
社長の浦谷は黙っていた。それだけに底しれない不気味さがあった。
「まずは、現状についてご報告します」
由加里はカバンから報告書を取り出し、配布した。
佐川はノートパソコンを立ち上げた。
由加里は報告書の内容に沿って説明した。
2月12日の19時台に漏洩が発覚したこと。
被害件数が9万件を超えること。
漏洩内容は、住所、氏名、電話番号、メールアドレス、性別、生年月日が含まれること。
アタック元のブロックをしたこと。
該当プログラムの閉鎖をし、修正中であること。
他にセキュリティホールがないか、チェックしていること。
事実関係のサイト告知と、クレーム対応の準備を進めていること。
由加里は説明し終えたあと、裁判員の判決を待つ心地で面々を見回した。
岩倉は苛立ったように口元に手を当て、もの言いたげにしていた。
誰も喋らない。
静けさが由加里の身を絞り上げてくるようだった。
役員らしき男がボールペンを走らせると、音がコツコツと響いた。由加里はその音に首をすくめた。
佐川も青い顔で固まっていた。
人が多いせいか空気が薄すぎた。
由加里は思わず胸に手を当てた。
そのとき、ついに岩倉が言った。
「まずは告知ですね。おたくで、告知用のテキストとページを用意してください」
「すでに進めております」
「4時に公開します。遅れれば遅れるほど、サイト利用者に迷惑がかかります。だって、電話番号やメアドが盗まれたわけでしょう? 早く注意喚起しないとダメでしょうが。おたくらはのんびりしてますけどね。――とにかく、いま、1時前ですから、あと3時間です。間に合わせてください。4時に」
岩倉は意見を伺うように浦谷を見た。浦谷は腕を組んだまま、こくりとうなずいた。
4時の告知が承認されたということだろう。
由加里は言った。
「承知いたしました。必要な準備を進めさせて頂きます」
隣の佐川は、チャットを使って、社内に共有事項などを逐一流していた。
すでに、『午前4時にサイト上で情報開示』と言う文字が流れており、『了解です』という仁科の返事もあるようだった。
「ちょっと、よろしいですか」
という、浦谷の低い声が響いたとき、キーボードをタイプしていた佐川の指がぴたりと止まった。
由加里は驚いて顔を上げた。
浦谷は言った。
「このたびは、夜分、ご来社頂き、ご苦労さまでした」
「い、いえ! 当然のことです」
「大島さんにお聞きした方がよさそうですが……」
「は、はい。なんでしょうか?」
「払えるんでしょうね」
「あの……」
「おわかり頂いていると思いますが、補償について、しっかり準備お願いしますよ」
由加里はうろたえつつ、なんとか答えた。
「わたくしの立場では即答致しかねますが、大島と相談の上……」
「あと、サイト停止はしません。ユーザーがOCOに、1日いくら落としていくかご存知ですね。賽銭箱のフタを閉じるようなマネは避けて下さい。絶対に。――私からは、それだけです」
そう言って、浦谷は席を立った。