イベント運営会社『DNプランニング』が運営する、チケット販売サイト『オールチケットオンライン(OCO)』は、約14万人の会員を抱えていた。
ある日、OCOはサイバーアタックを受け、約9万人の個人情報を流出させてしまった。
システム保守を行う『GRシステム』は、責任を問われ、対応に奔走することになった。
もし損害賠償請求をされたら、たちまち倒産するかも知れない。
苦情とサイバーアタックの嵐の中で、関係者たちは……
※本作はフィクションです
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vol. 09
佐川はタクシーの車内でノートパソコンを広げ、顧客からの質問に対する回答をシミュレーションしていた。
いつからアタックがあったのか。現在どういう状況なのか。どういう体制で事後処理に挑んでいるのか。
概ね報告書に書いた通りだが、さらにその裏付けを準備していたのだ。
ふと顔を上げると、左側に座る由加里が見えた。
いつもより老けて見えたが、醜いとは思わなかった。
別れた交際相手のことを思い出したが、一瞬のことだった。
佐川は右側を見た。窓は結露していた。
まだ2月だ。2月12日、火曜日が終わる直前。通りは賑わっていた。
タクシーは渋谷駅周辺を避けて東へ向かっていた。
呑気な酔っぱらいたちが終電へと向かっていた。
佐川には、窓の外と内側が同じ世界だとは思えなかった。
運命の不公平さが残酷に思えた。
しかし考え直して、佐川は拳を握った。
(いや、運命なんかじゃない。これは人災だ。戸締まりしていない家に空き巣が入っただけだ)
そのとき、由加里が言った。
「すごいわね。いつも冷静で適確」
「……僕が、ですか?」
「ええ。さっき、社長があんなこと言ったときも、冷静だったし。今回もエンジニアたちを、素早くまとめ上げたし」
「普段通りやっただけです。それに、今回は、僕の責任です。みなさんには、申し訳なく思います」
「今回の事故は、会社としての問題よ」
「いえ。冷静にやっていれば、トラブルを防げました。僕が甘かったんです。矢口くんや仲間の仕事を信用し過ぎたから」
「信用しちゃだめなの?」
「ええ。いま思うと、どうも人に頼り過ぎてたっていうか……。もっと、僕が目を光らせておかないとダメだったんです。きっと」
外で酔っぱらいが喧嘩していた。
大型バイクが排気音を轟かせて通り過ぎていった。
佐川は喋り過ぎたことを少し後悔した。
由加里は言った。
「あなた、自分以外の人のこと、みんな馬鹿だと思ってるでしょ」
佐川は由加里の横顔を睨んだ。
由加里は黙って報告書のチェックを再開した。
やがて、タクシーが止まった。
DNプランニングが入っているビルの前に着いたのだ。
時間は23時58分になっていた。
「行くわよ」
「……はい」
ビルの非常灯が夜間入り口へと続いていた。
外気は冷たかった。