イベント運営会社『DNプランニング』が運営する、チケット販売サイト『オールチケットオンライン(OCO)』は、約14万人の会員を抱えていた。
ある日、OCOはサイバーアタックを受け、約9万人の個人情報を流出させてしまった。
システム保守を行う『GRシステム』は、責任を問われ、対応に奔走することになった。
もし損害賠償請求をされたら、たちまち倒産するかも知れない。
苦情とサイバーアタックの嵐の中で、関係者たちは……
※本作はフィクションです
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vol. 04
時間は21時半をまわっていた。
佐川は席に戻った。
営業の仁科と斎藤は、彼らの上司である由加里に呼ばれ、ミーティングルームに入っていった。
OCO案件の営業担当であり、プロジェクトマネージャをもこなす由加里は、8人の営業部の責任者でもあるのだ。
それはそうと、佐川は佐川でやるべきことがあった。
佐川はいつものテキストエディタを起動して、仕事をリストアップしていった。
・セキュリティホールの修正→安原
・他の問題箇所の確認→安原
・アタックからの防御を継続→加藤
・被害状況の確認→佐川
・他部署との連携→佐川
そこでふと、OCO案件に専属する矢口のことを思い出した。
矢口は優秀なエンジニアではあるが、なかなかクセのあるやつだった。
冷淡な合理主義者。それが佐川の印象だった。
分厚い眼鏡に短い七三分け。趣味を一切明かさないが、まあインドア派な様子だった。
以前矢口に残業を頼んだときも、
『仕事なんて真面目にやっても、なんにも残らないですよ? 社畜にはなりたくないんですよ。自分のために時間を使いたいんです』
などと言われたことがあった。
話しづらい相手だが、緊急事態ともなれば、連絡しないわけにはいかない。
直接の担当ではない、安原や加藤が助けてくれているのだから。
佐川は矢口に電話をかけた。
2コール。3コール。出ない。
やはり、就業後に出るやつではないのか。
ハァ、佐川はため息を漏らす。
6コール目で、電話がつながった。
「はい? もしもし?」
いつもの、語尾が上がる口調だ。
「あ、もしもし、お疲れ様です。佐川です。矢口くん?」
「お疲れ様です。そうですけど。……どうしました?」
佐川はつっかえながらも、現状を伝えた。OCO案件で個人情報漏洩が発生したこと。残っている社員で対応していること。
「情報漏洩。へえ、それで? なんですか?」
というのが、矢口の答えだった。
「なんですかって、矢口くん……」
「いつか、そんなことになると思ってましたよ。だから俺はあのとき……」
「え? あのとき?」
「いや、なんでもないです。まさか、いまから来い、なんて言うんじゃないですよね? とにかく、明日出社して、話を聞かせてもらいますよ。まあ、せいぜい、対処とか、俺なりに考えておきますよ。加藤さんいるんですよね? 加藤さんでも、外人のアタックくらい捌けるでしょ。あ……」
そのとき、矢口の電話の向こうから、アニメ声の女性の声がした。
「ちょっと、忙しいんで」
と、矢口は電話を切った。
ディスプレイに顔を向けたままの安原は、
「あいつ、来ないですよね。やっぱり」
と言った。
「すまん」
「最悪ですね。マジで」
安原は鼻を鳴らした。
加藤は黙って、キーボードを叩いていた。
佐川が矢口の言葉の意味に気づくのは、だいぶ先のことだった。