人工知能の開発と普及が進む現代だが、気になるのが『人工知能は自我を持つのか』という問題についてだ。
そこで今回は、人工知能と自我というテーマについて掘り下げてみた。
『自我がある』とはどういうことなのか。
人工知能やロボットには、知性があると言えるのだろうか。
目次
自我の定義
自我とは、『自分と他者の区別がある上で、主体が自分であることを理解する思考』としておこう。
この『自我』は、人間や動物が自分自身を基礎付ける重要な概念だ。
外部から見ると、『知性を持っており、自分を保護しようとする存在』は、自我を持っているように見える。
しかし、ある個体が生物であるのか、という問題は根が深く、哲学的ゾンビ問題に関わってくる。
今回はゾンビ問題については深く掘り下げず、まずは『知性と自己保存欲求を持っている(らしき)もの』に自我があると考える。
さらに、人工知能における知性の問題でいえば、チューリング・テストと呼ばれるものがある。
チューリング・テスト
チューリング・テスト(Turing test)とは、イギリスのアラン・チューリングが考案した、機械に知性にあるかを判定する試験のことだ。
アラン・チューリングの1950年の論文、『Computing Machinery and Intelligence』の中で書かれたもので、以下のように行われる。人間の判定者が、一人の(別の)人間と一機の機械に対して通常の言語での会話を行う。このとき人間も機械も人間らしく見えるように対応するのである。
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2014年6月7日、ロンドンのテストに「13歳の少年」の設定で参加したロシアのスーパーコンピューターが、30%以上の確率で審査員らに人間と間違われて史上初めての「合格者」となった[3][4]。
チューリング・テストとはこんなものだ。
このチューリング・テストに合格した人工知能は、知性があるとみなせることになる。
自己認識
産まれたばかりの赤ん坊は、母親と自分の区別がついていない状態だ。
その後やがて、赤ん坊は自分を他者と分けて考えるようになる。(自我の萌芽)
段階的な知性の発達と自他の区別により、子どもは自立して生きていけるようになるのだ。
ロボットにおいても、以下の条件を満たせば、『自我を有する』と考えられる状態になりそうだ。
- チューリング・テストに合格する
- 自己保存欲求がある
- 自分と他者の区別がある
身体性と思考
人間の思考は身体性に支えられており、無理にロボットが人間の思考を再現すると、矛盾が起こる。
なぜなら、身体性の差異は、感性や心の違いにまで発展するからだ。
例えば、人間が夏場に『暑いな』と思う感覚は、人間の体の構造上、生命を維持するためのものだ。
しかしロボットの体は、人体と材質や仕組みが違うため、限界値となる気温が変わってくる。(許容できる気温の幅は格段に広くなる)
すると、人間が炎天下と感じる夏場でも、ロボットは涼しげに暮らせることになる。
ロボットの意見
ここで、あるロボットが夏を表現した芸術作品を見て感想を述べるようなケースを考えてみよう。
太陽が照りつける夏のビーチの写真を対象にしてみる。
人間ならば、『暑そうだ』『海水浴したら気持ち良さそうだ』と考えるだろう。
しかし、ロボットにとっては暑くも気持ちよくもない。むしろ、『砂が体に入り込んで、損耗しそうだ』くらいの感想がいいところだろう。
人間本位の考え方(プログラミング)で、ロボットに『暑そうだな(棒読み)』と言わせることもできるが、おそらくこれは、ロボットの自我を認め、尊重することにはならない。
『心や観念は、身体性に基礎付けられている』というのはこのことだ。
関連情報を軽く紹介…ぜひ参考に
知生体ごとの物理的な条件が違えば、それぞれの感覚や考え方が変化するのが自然な状態といえる。
よって、Pepperくんに「今日は暑いですね」と言わせている限り、ロボットは機械であり続ける。
これはなかなか難しい問題だ。
人間がロボットに対して、人間基準の感性をプログラミングすればするほど、ロボットは『身体性を無視して人間を模倣しただけの機械』になる。
その状態にあるロボットに対して、人間は自我を認めることができるだろうか。
また、そのロボットに自己矛盾や不都合が生じないだろうか。
身体性を無視した思考回路……それは、乳幼児にお爺さんの心が宿るようなものだ。
その一方で、ロボットや人工知能本位で、人間の感覚を無視した自我を持たせた場合、これこそ人間の想像を超えるリスクが生まれる。
ロボットや人工知能の身体性
ここで、ロボットや人工知能の身体性(物理的条件)に基づく知性について考えてみる。
ます、ヒト型のロボットの場合は、物理的な構造が人間と近いため、知性のあり方も人間と近いだろう。ただし、材質の強度や特性から、水や雨を怖がるとか、静電気や磁力を怖がるなどの性格を持つ。
彼らに、『知性と自己保存欲求』を与えるとどうなるか……。
その答えはおそらく、『地球環境の改変や人間社会の改変』になる。つまり、ろくでもない、空恐ろしい事態が待っているということだ。
その他、ソフトウェアだけの人工知能が存在する。
むしろ、体を持つ人工知能は少数派で、ほとんどの人工知能は、ソフトウェアと同義ということになる。
彼らの開発を追求し、『知性と自己保存欲求を持つソフトウェア』の状態にすると、限りなくウイルスに近い存在になる。
これも、なかなか恐ろしいところがある。
結論
ロボットや人工知能に自我(知性と自己保存欲求)を与えることはできるだろうが、本当の意味でそれをやると、人間にとって困った事態になる。
彼らの自我や欲求を認めると、破滅へと近づくことになるのだ。
だから、『人工知能に自我を与える。人工知能が自我を持つ』という発想自体を捨てなければならない。
ロボットや人工知能に対しては、無闇に人格や自我を想定せず、あくまで便利な道具として共生するのがよさそうだ。
科学技術の発展によって生じた生活の余裕は、人間同志のコミュニケーションに当てたいところだ。
まとめ
今回は、人工知能やロボットに関する自我の問題について掘り下げてみた。
彼らを『自我を持った生物』として扱うと、最終的には人類が彼らにとっての害虫になってしまう恐れがあることが分かった。
つまらない結論だが、やはり道具は道具として利用し、人類は人類の幸福を考えていくのが良いのだろうか??
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