人工知能の開発が一定の度合いを超えると、テクノロジーが人間の制御を凌駕し、人間の生活を恐ろしいまでに変容させてしまう、と言われている。
また、その転換期をシンギュラリティ(技術的特異点)と呼ぶ。
シンギュラリティが訪れると、僕らは多くの恩恵を授かることになる。しかしその一方で、ある破滅的な問題が発生する。それは・・・・・・
シンギュラリティ(または2045年問題)とは
レイ・カーツワイルが自著「The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology」「邦題:ポスト・ヒューマン誕生――コンピュータが人類の知性を超えるとき」の中で提唱したのがきっかけとなり、世界中のサイエンティストやエンジニアから注目を集めている概念だ。
技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん、英語:Technological Singularity)、シンギュラリティ(Singularity)とは、人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事[1][2]とされ、テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうとする未来予測のこと[3]。未来研究においては、正確かつ信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測され得る未来モデルの限界点と位置づけられている。
このように、人工知能技術が発展することで到達する、究極的な変革期を、シンギュラリティと呼ぶ。
また、シンギュラリティが訪れる時期については、諸説ある中で、カーツワイルが主張した2045年説が主流のようだ。
なお、シンギュラリティが訪れると、以下のような変革があるとされる。
- 人工知能の方が人間よりも賢くなる
- 人工知能が人間の代わりに技術研究や実験を行う
- 人間の脳を完全にデジタル化できる
- 医学の進歩により人間を不老不死にできる
- 人間の仕事が人工知能に奪われ失業問題が起こる
このように、ポジティブなこととネガティブなことの両面があることがわかる。
なお、シンギュラリティが本当にやってくるのか、ということ自体が論じられている状況でもある。
僕としては、それが本当に2045年かどうかはともかく、いずれその瞬間がやってくるだろうと感じている。
ディープラーニング
ハードウェアの進歩とソフトウェアの研究により近年、ニューラルネットワークによる機械学習技術を多層化可能にした、「ディープラーニング」という技術が完成した。
このディープラーニング技術は、人工知能技術の中核に位置すると言っても今や過言ではない。
ディープラーニング、深層学習(英: deep learning)とは、多層構造のニューラルネットワーク(ディープニューラルネットワーク、英: deep neural network)の機械学習の事[1]。汎用的なAI、いわゆる強いAIの実現が期待されている[2]。概念・手法は1980年前後からあったが、2010年代に画像認識などから急速に盛り上がり、三度目の人工知能ブームと言われる[3]。第三次ブーム以後は、機械学習は単なる流行を超えて社会インフラとして広く定着して行った。コグニティブコンピューティングの核となる技術でもある。
また、googleはディープラーニングを使った様々な技術を開発し、市場へサービスを展開している。ディープラーニングは理論だけではなく、凄まじい速度で実用化が進んでいるということだ。
シンギュラリティ最大の問題は、人間が死ななくなること
シンギュラリティがもたらす恩恵には、医療の大幅な進歩も含んでいる。
その結果、簡単に言えば、人間が死ぬことがなくなるだろう。
あるいは少なくとも、極めて死ににくくなるだろう。
すると、以下のような社会問題が発生してくる。
- 人口爆発を避けるため出産が規制される。またはかなり控える傾向になる
- 健康な老人だらけになり、世代交代しない
- 既得権益のある年配者に富が集中し、若年層が貧しくなる
と挙げていくと、すでに現代は近い状況になっていることが空恐ろしい。
はたして人間が死なない世界とは、どのようなものだろうか?
人間は自らの生存本能によって、ゾンビ都市を生み出そうとしているのだろうか?
まとめ
戦後の貧困にあえいでいた日本が飽食の時代を迎えたように、いずれは「生命の飽食の時代」がやってくる気がしてならない。
やがて僕らは、否が応にもシンギュラリティを迎えるだろう。
そのときは、生きることよりも、いかに死ぬか、ということが重要な時代になるのだと思う。
また、その日までに新しい時代の「生命の尊厳」について、考える必要があるのではないだろうか。