日本人は宗教観がイージーで節操がないため、スピリチュアルやオカルトを信じやすい。
そのため、気がつくとつけ込まれて、怪しげな商法にひっかかったりする。
その大きな理由は、日本人に○○がないからだ。
人間は努力したい
悩みの多い人ほど、安易な救いに要注意だ。
かく言う僕も、仕事や私生活で大変な時期に、神秘的なものにすがりたい気持ちのときもあった。人生の意味や、生まれてきた意味などの答えを教えてくれそうなものなどに、ついつい惹かれてしまうのだ。
なぜなら、「今つらいのは、意味があるんだ」「理由があるから、こうなっているんだ」と思いたかったからだ。
そう、人間は不条理に弱い。
たとえばある日、あなたの胃が痛くなったとしよう。
朝起きるとずきずきと、あなたの胃が痛むのだ。
あなたは不安になって、あれこれ考えるが、理由がわからない。理由がわからないから、対策も解決もできない。
会社を休んであなたは、近くの内科に行くことにした。
診断結果は、「暴飲暴食による軽い胃炎なので、薬を飲んで節制すればOK」とのこと。
あなたは見事、「努力=節制と投薬」によって、「安楽」を得られることを知った。もちろんあなたは、それを実行することにした。
節制という「努力」ができることは、苦痛を紛らわす最大の鎮痛剤でもある。(戦地へ征った夫を思う、妻の百度参りだとか。病人に送る千羽鶴だとか。なにか努力をすると、気が紛れて自己満足できる例は色々ある)
逆に、「努力」する余地がなく、「ただ単に不条理でたまたま不幸になった。解決に向けて努力する余地がない」などという事実を突きつけられるとしたら、あなたは耐えられない。
つまり、宗教やスピの魅力は、「苦しんでいる理由を教えて、努力する糸口を与える」点にある。
スピリチュアルは宗教と本質的に同じ
あらゆる宗教や思想は、「不安に対する答え」を与える。
また、人々がその教えを、信じられる、ないし、信じていたい、と思うことで成り立っている。
そういう視点で世界の宗教を見ると、たいていの教えでは、共通項が見られる。
- 教義に反した場合の罰則がクローズアップ
- 教義にのっとることで恩恵と赦しを得られる
なお、宗教とスピリチュアルを分けられるか不明だが、「歴史があるメジャーなものか」「歴史の浅いマイナーなものか」くらいは基準にできるだろうか。
いずれにしても両者は僕の中では同じ地平にある。
どちらも人を活かしもするし、だましもするからだ。
スピリチュアルの思想にも、「不幸な理由と努力方法の説明」があるため、説得力がある場合が多い。(具体例は避ける)
僕は無神論者ではない
僕はいつも神様を探している。
この世で生きている意味が厳然とあって、神様が見守っていてくれたら幸福だろう。と思っているからだ。その方が楽だし心安らかに暮らせる。
しかし、僕は未だ神に出会ったことはない。
この感覚の方は、僕以外にいないだろうか?
何かを信じようとしながら、信じきれない、その虚しさが日本人(あるいは無神論者)の根底にある気がする。
真実は人それぞれ。だが、上納金ロボットになるな
当然ながら人間はなにを信じて、なんのために生きるのかは自由だ。
どんな変わった信仰や信条であっても、当人にとっては真実であるし、支えを持った方が心地よく生きることができる。
だが、世の中にはビジネスのための宗教や思想がある。
いわく、あの世で救われますよ、などという触れ込みで、現世を上納金ロボットとして生きるように仕向ける教えもある。
これは当人にとって幸せなのか、首をひねりたくなる部分もある。
僕の親しい友人や身内に、特定の新興宗教やスピリチュアル思想を信じる人がいる。
彼らは長い年月を上納金ロボットとして暮らし、その事実を認められないがゆえに、ロボットの振りを続けている。せめて教義通り、あの世での平安があればいいのだろうが、それは僕には分からない。
自己啓発にも注意
自己啓発の本やその思想などは千差万別だから、ひとくくりにはしづらい。
それでも、僕が読んできた一部のものは、自己洗脳を推奨しているものがあった。また、スピと自己洗脳がセットになっているものも結構あった。
自己洗脳については、以下のようなステップを踏むことが共通していた。
- 著者の自分アピール
- 読者に自己批判させる
- 思考停止させ努力させる
こんなところか。
「絶対自分は売り上げ達成できる!」と百回叫べ、みたいなものもあった。
こういったやり方を素人ながらユング心理学で説明すると、「無意識下に無理矢理、未分化な人格=自分が制御していない一面を作る」ということになる。
そのため、未分化な人格と生来の人格が矛盾して、いずれ破綻が生じることになる。
だから、思考停止して根性論を塗りたくるのは危険だ。
自己啓発本などの知識は、冷静になって、腹落させながら取り入れたいものだ。
日本人にないもの。それは宇宙論
宇宙論とは、世界の初出はこうで、人間はこういう目標で生きている。といったことを定義する理論だ。また、今回は特に、旧約聖書の創世記などの宗教な宇宙論を指している。
宇宙論(うちゅうろん、英語:cosmology)あるいはコスモロジーとは、「宇宙」や「世界」などと呼ばれる人間をとりかこむ何らかの広がり全体[1]、広義には、それの中における人間の位置、に関する言及、論[2]、研究などのことである。
コスモロジーには神話、宗教、哲学、神学、科学(天文学、宇宙物理学)などが関係している。
なお、日本の著名な心理学者である河合隼雄は、「中空構造日本の深層」という書籍で、”日本神話には中心の創世神話周辺が中抜きになっている”といった旨を述べている。
また、仏教についても、道徳観を学ぶことはできるが、一般的な感覚では、世界の成り立ちを体系立てて学べるものではない。(深い部分では宇宙論があるが、それを認識している人は希少)
ゆえに日本人は、「事実上無信仰」かつ「宇宙論や死生観が曖昧」なため、生きること自体の理論がない。そのため、宇宙論や人生論などの空白地帯につけ込まれやすい特性がある。
少なくとも、僕らにはこの理論が希薄だということを意識しておくべきだと思う。
まとめ
そんなわけで、以下のようなことに気をつけて、できるだけ自分の芯を持って生きていきたいものだ。
- 洗脳されない
- 現世も大事
- 自己啓発よりも自己納得
- 宇宙論や創造論がないことを自覚
信じることは大事だが、自分の自律した意思があっての人生だ。
その他参考
Photo credit: Images George Rex via Visual hunt / CC BY-SA