ユング心理学入門(河合隼雄著)を熟読してみる - 648 blog
というわけで、「<心理療法>コレクションⅠ ユング心理学入門(河合隼雄著)」の「第三章 個人的無意識と普遍的無意識」を読んでみた。
本章で僕が理解したことを、可能な限り詳述したい。
意識の三層構造
人間の意識は以下の三階層になっているとされる。
1.意識
顕在化された、主観の中心。
2.個人的無意識
意識が表面的に忘れているか、意識が回避している内容、または不明確な知覚の痕跡が存在する層。コンプレックスなどが存在する層。
3.普遍的無意識(集合的無意識)
人類全体、または動物とも共有されうる、心の基礎。文献によっては集合的無意識とも呼ぶ。
普遍的無意識とは
普遍的無意識について述べるには、慎重さが必要そうだ。
曖昧さや神秘的な要素を完全に取り払って説明することはできないし、かといって安易な神秘主義に走れば、検証不可能なオカルトの世界になる。
このように、無意識内を層に分けて考えることは、ユングの心理学の特徴をなすものであり、彼の立てた普遍的無意識の概念は、多くの芸術家、宗教家、歴史学者などに歓迎されるが、一方多くの誤解をも生じさせることになった。
ということだ。ユング自身がタロットカードなどの研究もしていたことを考えると、ユング心理学の中心にある象徴的なこの理論に、神秘家が興味を持つのも無理からぬことだろう。
しかし、心理学として、一般化された検証可能な知識として学ぶためには、理性的な姿勢が必要だろう。
と思って読んでいると、
普遍的無意識 これは表象可能性の遺産として、個人的ではなく、人類に、むしろ動物にさえ普遍的なもので、個人の心の真の基礎である。
という、なかなか深遠な世界観を感じさせる説明がなされている。
さて、できるだけ本書「ユング心理学入門」の解説に従って、普遍的無意識について以下のように要約してみることにする。
普遍的無意識とは要するに・・
- 大地が草木や動物を育むさまを、母親の豊かさと厳しさに重ねる潜在的な感覚
- 渦巻きや暗く深い場所を死と関連づけ恐れる潜在的な感覚
- 森の暗さや深さを未知の怪物と捉える潜在的な感覚
- 月や太陽に神性を思う潜在的な感覚
- 動物、または人間が火と赤い布を同一視して怖がる感覚
- 人間は上記のような内面の感覚を、直感的に神や悪魔として恐れ敬っている
- 人間は神話や民俗学の知識がなくても、直感的に神話や伝承に通じるイメージを抱いている
- 人間は日常生活でも、深い部分で前述のような感覚に影響を受けているのではないか
- だとすると、人間は目に見えない、考え方や連想のパターンに支配されているとも言える
こういった背景から、普遍的無意識という概念が定義された。
なお、本書では二つの臨床上の逸話が紹介されている。以下では、普遍的無意識と、神話の関係が暗示されることになる。
- ある分裂病の患者が、古代の宗教書に出てくる象徴と酷似した幻視を見た例
- ある学校恐怖症の少年が、地母神(女神)や死の象徴を強く連想させる夢を見た例
元型
ここで元型について説明したい。
なお、本書では以下のように説明がある。
人間の普遍的無意識の内容の表現のなかに、共通した基本的な型を見出すことができると考え、ユングは、それを元型と呼んだ。
つまり、人間が普遍的無意識を介して認識するイメージを、類型化して定義したものが元型ということになる。
また、元型は古代より人間の普遍的無意識に存在し、上位の意識へ働きかけ、神話や伝説のモチーフとなった、と説明されている。
なお、主立った元型には以下のようなものがある。
- ペルソナ(persona)
- 影(shadow)
- アニマ(anima)
- アニムス(animus)
- 自己(self)
- 太母(great mother)
- 老賢者(wise old man)
それぞれが少年、少女、母親など、僕らの身の周りにいるような人物が象徴化されており、同時に、各地の神話で頻出するモチーフでもある。
なお、重要な注意事項として、元型はイメージとして直接心の中に浮かんでくることはなく、直接形を表すことはない、とされる。あくまで元型自体は、象徴の中心にある力のようなものである。
夢や想像の中で、特定の元型をイメージさせる姿が現れたとしたら、それらは通常、「原始心像」あるいは「元型的心像」と呼ばれ、元型そのものとは区別される。
元型「影」
影とは抑圧された半身
影とは元型の中でもっとも認識しやすく、また、ある人の心的内容との関連が深い元型である。
影はある人が生きる上で切り捨ててきた、あるいは隠してきた、触れがたい存在だ。
例えば清廉潔白な教師が、内心で耐えがたい欲望をこらえて生きている場合、影はより強大に増成長し、思いもよらない場面で暴走したり、彼の夢やイメージに現れて彼を苦しめたりすることになる。
つまり影とは、抑圧された人生の反面であり、ある人の心を背後から捉えた、隠された本性でもある。
家族に押しつけられる影
例えば、上記のような教師が父親になったとき、その妻や子供は日常の生活を通じて、彼が隠している影を見ることになる。
やがて、「彼が無意識的に押しつける」または「家族が無意識的に感じとる」ことで、妻や子供が教師の影を演じるようになる。
つまり、皮肉なことに教師の家族が、粗暴で反社会的な性格を持つように至る可能性があるのだ。
影と付き合う
僕たちが社会で生きていくためには、自我を持って活動しなければならない。影が恐ろしいといっても、何かの行動を起こせば、太陽に向かうひまわりのように、必ず影を生み出すことになる。
だからこそ、影を否定するのではなく、影の正体を観察し、理解することが必要になる。
これはさながら、ホラー映画でモンスターの正体を突き止めると、とたんに恐怖が半減することに似ているだろうか。
影を恐れず、対話できるようになれば、実生活をより価値のあるものにできる。例えば、以下のように実生活へ応用できるのではないだろうか。
- 日頃忙しい、ストレスフルな仕事をしているならば、自分の限界を感じとって、早めに休暇を取ることを考える
- 自分の心の中に生まれる矛盾を無視せず、落ち着いて向き合うことで、様々な価値観へ寛容になれるようにする
まとめ
今回はユング心理学入門(河合隼雄著)の「第三章 個人的無意識と普遍的無意識」を僕なりに読み込み、可能な範囲で解説した。
今回扱った普遍的無意識は、ユング心理学の中心的な概念であるとともに、奥が深いものだ。
また、元型の考え方それ自体が魅力的でユニークではないか。
ここまでの本書の内容で、「タイプ理論」「コンプレックス」「普遍的無意識」「元型」などの概念が登場したわけだが、これだけでも、我が身に重ねて考えると、色々と思い当たることが出てくる。
やはり、現代人が自分自身を客観的に知るために、心理学、ならびにユング心理学は有用なものであると思う。
それでは引き続き。
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