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kyamanekoです。IT、思想、哲学、心理学などの記事を書いています。

個人情報漏洩させたらこうなった - vol. 49

実録! 個人情報漏洩させたらこうなった

イベント運営会社『DNプランニング』が運営する、チケット販売サイト『オールチケットオンライン(OCO)』は、約14万人の会員を抱えていた。
ある日、OCOはサイバーアタックを受け、約9万人の個人情報を流出させてしまった。
システム保守を行う『GRシステム』は、責任を問われ、対応に奔走することになった。
もし損害賠償請求をされたら、たちまち倒産するかも知れない。
苦情とサイバーアタックの嵐の中で、関係者たちは……

※本作はフィクションです

 

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vol. 49

 事故の前月の、1月のことだった。
 浦谷は自宅の近くの居酒屋のカウンターに座っていた。
 店内はほぼ満員だった。
 浦谷のとなりには短髪の若者がいた。髪は青く染められており、両耳にはピアスが4つずつあった。
「そういや、こないだはありがとな、虻沼」
 そう言って、浦谷は懐から折りたたんだ5万円を、さりげなく差し出した。
 虻沼と呼ばれた若者は、にやりと笑ってから金を取った。
「浦谷さんに喜んでもらえて、なによりですよ。ユマ、どうでした? いい女でしょ。また遊びたくなったら、好みの女、手配しますよ」
「うん。頼むぜ、また」
「奥さんにバレない程度にね」
「バレねえよ」
 浦谷は大笑いして、ジョッキのビールをあおいだ。
 ――虻沼とは、1年前にこの居酒屋で偶然出会った。
 虻沼本人は会社員だと言っているが、裏社会の臭いがした。
 夏場などはシャツの下の入れ墨が見えることがあった。それに、薬物を扱ったり、女を水商売で働かせたりしているようだった。
「またなにかあれば、相談してくださいよ。俺、浦谷さんのこと結構気に行ってるんで。なんかさ、俺、フワフワしたITみてえなの嫌だったんだけど。浦谷さんはホント、話が楽しいからさ」
 浦谷自身も危ない橋を渡ってきたし、仕事の関係で芸能関係者との付き合いがあった。
 そのため、虻沼みたいな若造を楽しませる程度なら、話題に事欠かなかった。
 浦谷は言った。
「まあ、飲もうぜ。あと、食いものも、ちょっと頼もうか」


 個人情報漏洩事故が起こった、2月12日のことだ。
 矢口は就業後、晩飯にすき家に寄ってから家に帰ってきた。
 ペットボトルのコーラを飲んで、PCを起動した。買ったばかりのゲームをやるために。
 スマートフォンの着信音が鳴ったのは、22時前のことだ。電話は佐川からだった。
(なんなんだよ、こんな時間に、うっとうしいな)
 などと思いつつ電話に出ると、思いがけない話を聞いた。
 サイバーアタックによる個人情報漏洩が発生したとのことだ。
 とはいえ、由加里にフラレた一件依頼、仕事をやる気がなくなっていた。
 だから、会社に馳せ参じる、などということはなかった。
 それに、プロジェクトマネージャーである由加里の運命を考えると、愉快な気分になった。

 それからおよそ1時間後、知らない番号から電話がかかってきた。
 迷ったのち、矢口は出た。
 相手は言った。
「こんばんは。突然のお電話、申し訳ありません。DNプランニングの、浦谷と申します」
 矢口はしばらく、意味がわからなかった。落ち着いて考えると、浦谷と言ったら1人しかいなかった。
 それに、いったいどうやって浦谷に自分の電話番号が伝わったのかを考えた。すると、保守契約における、緊急時の連絡先の1つに入っていたことに気がついた。
「お、お世話になります。矢口です。このたびは、大変なことに……」
 と、一応は丁寧に対応するよう努めた。
「いや、それはいいんです。いや、よくありませんが、それより、お聞きしたいことがありましてね」
「は、はい。どんなことでしょうか……」
「あのですね、以前、うちの岩倉にご提案頂いた、セキュリティの件。――セキュリティリスクがあるため改修すべき、みたいな。あの話、覚えてますか?」
「はい。たしかに、以前、そのお話をしましたが」
「ありがとうございます。それなんですが、どうやら、当時は矢口さん1人でいらっしゃったとのことで……」
 矢口は話の先が見えなかった。
 しかしよくよく聞いていくと、つまりこういうことだった。
『DNプランニングがセキュリティリスクの事前警告を受けていた場合、事故における過失割合が大きくなる。そこで、エビデンス――リスク警告のあった事実やその資料を隠してくれたら、謝礼をする』
 というものだった。
「矢口さんなら、この話、乗ってくれると思ってます。もし黙っていて頂けたら、そうですね。……あなた個人に、100万円お支払いします」
 矢口は驚いて、なにも答えられなかった。
「どう転んでも、矢口さんに損はありません。場合によっては、GRさん、立ち行かなくなるかも知れませんが。まあ、矢口さんの能力があれば、転職も難しくないでしょう。――やはりですね、エンドユーザーの反感を考えて、最終的にプリペイドカードをばら撒いて黙らせることになると思うんですよ。そうしたとき、証拠が残ってると、うちの負担が増えるわけです」
 矢口は静かに笑いはじめた。
 『エビデンス』を隠蔽してしまえば、由加里をさらに追い詰めることができる。GRシステム側の、ひいては由加里の傷をより深いものにするだろう。これに乗らない手はなさそうだ。
 とはいえ、もっと金を引っ張ってやりたいと思い、矢口は言った。
「そ、そんなこと突然おっしゃられても……。それに、転職など考えても、その間の生活費や、準備などあります。100、ですか……」
「矢口さん、それでは、150万円では?」
「うーん。とにかく、考えてみます」
「ありがとうございます。ぜひお願いしますよ」
 そう言って、浦谷は電話を切った。
 矢口は、浦谷がそこまでしてエビデンスを恐れる理由を考えた。
 検討もつかなかったので、ネットで検索してみると、少し納得がいった。
 ビジネスにおける過去の判例などでは、事前警告のエビデンスにより、過失の考え方が変わるようだった。
 たとえば今回の場合は、GRシステム側の賠償が発生した場合、20%から40%程度の減額がなされる可能性がありそうだった。
 仮に賠償金が1億円となった場合は、2千万円から4千万円相当の過失相殺ということになるということだ。
 あとは、岩倉からきたメールも残っていたはずだ。メールについても、プロバイダ側のログなどを入手すれば、文面と合わせてエビデンスとして扱えるだろう。

 こういった諸々の状況を考えれば、今回の浦谷の行動も理解できた。
(まともじゃねえ、クズ社長)
 と、矢口は浦谷をあざ笑った。
 しかし、そこへ謝礼を上乗せさせようとする矢口自身も、似たようなものだった。
 矢口からすれば、復讐も果たせ、実入りもある、うまい仕事でしかなかった。
 こんな具合に、矢口はいい気になっていた。――虻沼が絡んでくるまでは。

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