読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

648 blog

kyamanekoです。IT、思想、哲学、心理学などの記事を書いています。

夢診断・夢分析の実践 - 巨人が迫ってくる夢

夢診断・夢分析の実践 - 巨人が迫ってくる夢

僕は小学生のころ、同じ不思議な夢を何度も観た。
どこまでも大きな巨人が目の前にそびえ、迫ってくるのだ。
本当に奇妙なことに、小学生のある時期には何回も観たのに、しばらくするとめっきり観なくなった。

この夢は、社会に対する恐怖の象徴であり、無限そのものに対する恐怖の象徴でもあった。

今回はそんな、巨人が迫ってくる夢について、夢診断・夢分析してみたい。

 

目次

夢診断の手法

以下の記事で紹介した書籍などを参考に夢診断を実践した。

www.kyamaneko.com

www.kyamaneko.com

夢の内容

小学校の頃の夢だ。

白くだだっぴろい空間に僕はいた。

なにもないと思っていたのだが、ふと気がつくと大きな柱があった。

その大きな柱はなんと、巨人の脚だった

巨人は暗い灰色の体をしていた。

巨人は裸だった。

また、その巨人は大きすぎて、僕の想像力を凌駕していた。

巨大過ぎて想像しきれなかった

というのも、足先、踵、くるぶし、足首、と巨人の体を想像していったときに、肩の辺りまでくると、僕の想像力がオーバーヒートして、頭が痛くなってしまうのだ。

そう、巨人は巨大すぎて、正気では全体像を想像できなかった。

巨人は僕に近づき、今にも踏み潰さんとしてきた。

僕は怯えながら、想像力のオーバーヒートに頭痛を感じていた。
あるいは、その顔を直視できない理由があったのだろうか。
そんなわけで、巨人の頭や顔は見れていない。

僕は小学校低学年のころ、この夢を何度も観た

この夢は、小学校三年生くらいまで続き、それからめっきり観なくなった

診断対象者(僕)のプロフィール

7歳前後の男児。
おとなしい性格。

夢の詳細

1.自分について

夢の中の自分は、当時と同じ7歳くらいの感じだ。
(強く印象に残っている夢は、たいていリアルタイムの夢??)

2.登場人物について

自分と巨人。

3.時間と場所について

真っ白な地面と真っ白な空間に囲まれた場所。

時間や季節は分からない。

4.物や動物について

自分と巨人以外、なにもない。

5.行動について

僕は身動きできず、巨人を見上げていた。巨人は少しずつ迫ってきた。

6.感情について

巨人が恐ろしかった。正確には、巨人に危害を加えられることが怖いのではなく、巨人の巨大さ自体が怖かった。=無限(宇宙や生命の連鎖)への恐怖?

7.連想について

白い空間は以下のようなものを連想させる。

  • 幼い自分にとっての世界(全てが未知)
  • 社会や小学校の広大さ
  • 自分で描いていくキャンバス
  • 神や神秘的なものへの畏怖
  • 自分の存在価値の不安
  • 隠れる場所がない。親の庇護を受けられない環境
  • 白=生というよりも、死を思わせる白
  • 水平方向への無限(ニライカナイ)

巨人は以下のようなものを連想させる。

  • 教師や大人や父親への恐れ
  • 社会に存在する高さのあるものへの恐怖
  • 自分が小さいことへの不安
  • 好奇心と想像の限界(巨人の顔を見ようと上体を想像する)
  • 垂直方向への無限(オボツカグラ)

8.ストーリーについて

なにもない真っ白な空間に、ふと気がつくと巨人が現れた。

巨人はじっと見下ろしてきた。

最後まで巨人の恐怖はなくならなかった。

夢診断をしてみる

まず夢の種類としては、「子どもに対して未来に向かう覚悟を与える夢」という意味では「展望的な夢」と呼べるだろうか。

あるいは、広大な外界に対する恐れを表すとすれば、「無意識の心的過程の描写」とも呼べる。

さて、この夢に元型を当てはめて考えてみると、「ペルソナ」と「老賢人」の存在を感じる。

広大な白い空間については、社会に対する無防備さを象徴しており、「ペルソナを確立する前の状態。ペルソナの不在という意味での、ペルソナの象徴」とでも呼べる。

巨人については、自分を抑圧し圧倒する父性であり、子どもの想像を超えた社会の巨大さや、その秩序や力であるように思う。

「白」については、清純さや素直さというよりも、無機質で色のない、ある種の宇宙空間を思わせる。

とまあ、ここまでの分析については比較的素直にやってみた。これはこれで納得できる気もするが、もう少し掘り下げてみよう。

さらに僕が付け加えるのは、「循環や無限に対する恐れ」だ。

僕は昔から内向的で、例えば世界の広大さや生命の秘密や死後の世界について、ときどき考え込んで勝手に怖がっていた。(そういう人が他にもいるかも知れない)

そんなわけで、幼い僕は無限というもの自体を恐れていたように思う。

作家であり民俗学者である折口信夫を斜め上から持ってきてしまうが、彼は琉球神道の世界観について、二つの種類の「あの世」があることを指摘した。

  1. 遠い島や遠い山など、人間たちと同じ水平にある異世界=ニライカナイ(都市文明以前の庶民的な宗教観を象徴)
  2. 垂直方向=天にある超越的な異世界=オボツカグラ(理性や王権や体制=都市文明的な宗教観を象徴)

考えたって答えの出ない、上にも横にも続く世界の無限さ。僕はこれが怖かった。

そう考えると当時の僕は、自然や宇宙の象徴として水平方向への無限を恐れ、人間の築いた社会の象徴として垂直方向への無限を恐れた、とも言える気がする。

夢のストーリーからも分かるように、この無限に対する恐怖は解決していない

今でも本質的に無限の恐怖を克服できていないはずだし、今後も克服できる気はしない。

まとめ

正直なところ、自分が抱えている無限への恐怖は、この記事を書いているうちに発見できたものだ。

はじめは巨人=父性や社会への恐怖として薄っぺらく考えていたが、向き合っているうちにどんどん広がっていってしまった。(もちろん、それはそれで有意義かつ面白い体験だった)

垂直水平の信仰まで持ってくるのはアホだなぁ、と思いつつ、やはり深層心理レベルでは関係がありそうな気がする。

とにかく無限が怖い。合わせ鏡。渦巻き。宇宙。社会の大きさ。プログラムのバグでの無限ループ。

なかなか答えにたどり着けないまま、死という無限のはじまりに向かって歩く。

それが人生??(疑問形)




Amazon.co.jpアソシエイト